8月18日放送の「爆報!THEフライデー」で取り上げられる「9億円横領事件」

かつて日本中を驚かせた史上最悪の横領事件!
犯罪史の裏に隠された男女の愛憎劇!「史上最大のヒモ男」に9億円もの金を貢いだ女銀行員ということで非常に興味深いですよね。

というわけで、今回はこの9億円横領事件の犯人・奥村彰子の生い立ちや事件の概要についてまとめてみました。

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【滋賀銀行9億円横領事件の概要】

事件が起きたのは1973年10月21日。
滋賀銀行山科支店で働くベテランの銀行員である奥村彰子が横領の容疑で逮捕されます。
この時奥村彰子は42歳

奥村彰子は驚くべきことに、6年間で約1300回にわたり9億円もの金を横領し、10歳年下の元タクシー運転手・山県元次(32)に貢いでいた

ということで…すごいですね。
9億円!!
一体何に使ったんでしょうか。

【奥村彰子の生い立ちや経歴、山県元治との出会い】

9億円横領事件,滋賀銀行

名前:奥村彰子

年齢:42歳

大阪府北河内郡に3人姉妹の末っ子として生まれ、その後家族で京都市左京区に移り住んでいます。

彰子は高校3年の時に高校を退学していますが、これは愛人を作った父親が家を出ていき、男性不信になった母親から男女共学を反対されたため。

そして中退後は滋賀銀行京都支店に入行し、男性をライバル視するかのように仕事に打ち込んだそうです。
男性不信の母の影響で、彰子は縁談などもまとまらなかったといいます。

〈山県元治の生い立ち〉

山県は1940年に朝鮮で生まれ、7男5女の5男でした。
父親は警察官をしており、高校受験に失敗した山県はガラス店で住み込みで働きながら商業高校の定時制に通う。

しかしこのころから友人の誘いで競艇をやるようになる。
そんな山県の夢は歌手になることで、歌声喫茶で歌ったりすることもあり、女性にはモテたといいます。

ガラス店で6年務めたあとは独立し、陶器店を開くもすぐに競艇のせいで店をつぶしタクシー運転手に転職。
売上金の納金をごまかし会社を転々としていた。

納金をごまかすとか…この時点でダメ男臭がすごいです。

〈山県元治との出会い〉

1965年には彰子35歳となり、北野支店に勤めていました。
このころに山県元治(当時25歳)と出会う。
彰子は当時付き合っていた男性と喧嘩をしており、職場の懇親会帰りに乗ったタクシーで泣いていたそうです。

この時「どうしましたか?」と優しい声をかけてきたのが山県でした。
それから山県は彰子の話を優しく聞き、「このままドライブしよう」と誘います。
そして、30分ほど京都市内をドライブしたところでタクシーを降りますが、この時優しく話を聞いてくれた山県に「また会いたい」と思うも、自分に自信がなく嘘の銀行名で働いていると名乗り、タクシーを降ります。

その後、彰子は山科支店へ転勤となり普通預金係として働く。
1966年、彰子が帰宅中にバスの中で「彰子さんではないですか?」と偶然にも山県に声を掛けられる
山県は競艇の帰りだったということで、彰子のことをお茶に誘ってきます。
2人は京阪三条南口の喫茶店で話すことに。

山県は、小遣いがたくさんあるのでギャンブルで負けても平気なのだと言います。
兄は下関で大きな商売をやっているという話やいろいろな話をおもしろおかしく聞かせてくれる。
そんな山県の話に夢中になり聞き入る彰子。
そしてちょうど定期預金の大募集期間だったこともあり「私の銀行に貯金をしてほしい」と山県に頼みます。

彰子はこの日以来数回にわたり山県に電話をするも、山県は「年上の綺麗な女性にからかわれているだけだろう」と誘いを断りますが、そんな固い山県に余計にひかれる彰子。

その後二人は数回食事をしたのち付き合うことに。

バスで再会していなければ、きっとこんな事件に発展することもなかったでしょうね。

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【奥村彰子はなぜ横領するようになったしまったのか?手口や理由は?】

山県から付き合って間もなく「競艇をやる金がいる」と言われ、初めは5千円、1万円ほどのお金を貸していた
彰子は貸したお金が返ってこなくても気にしなかったが、お金を何度も貸してほしいと要求されるようになり、ついに貯金や家族の貯金まで切り崩し渡すようになる。

彰子にとって山県は「最後の男」と思えるほど魅力的だったようで、年下の山県をつなぎとめるためにお金が必要だと感じる

そのころ彰子は普通預金係から定期・通知預金係に異動となり、この頃、奥村はバス会社を定年退職したKさんという男性と知り合う
Kさんは奥村に好意を示しており、奥村が預金勧誘用のパンフレットを見せると、早速定期預金の100万円の小切手を届けてきた。
奥村が定期の証書と印鑑を渡そうとしたが、Kさんは受け取らず預けたままとしたそうです。

その話を奥村がデート中に山県に言うと、「100万。その金なんとかならないか。穴埋めは必ずする。」と言ってきたそうですが、「人のお金に手をつけることはできん」ときっぱり断わります。
 
「いい車があって買いたい。Kさんの金、必ず返すし、ちょっと貸してくれ。40万円でええから」とまたもや山県はそうねだってきた。
彰子は断れずに、ついに11月8日、Kさんの定期を偽造証書で中途解約し、100万円を引き出してしまいます。
Kさんの定期は6ヶ月だったが、山県は借りた金を返すそぶりは全然見せず、さすがに焦った彰子は催促するが、「競艇で一発当てて返す」とはぐらかすだけ。

同年暮れにはKさんは銀行を訪れて、また彰子に70万の小切手を預ける。
そしてまたも証書などは預けたままだった。彰子ははKさんに気のある素振りを見せ、その後も預金をしてもらうようになります。

翌67年には、彰子はKさんと肉体関係持ってしまいます。
定期を途中解約されては困るという理由からでしたが、山県はそのことを聞かされて、「やめろ」とは言わなかったそうです。
結局、Kさんは計1240万円の金を彰子に預け、すべて山県へ渡されることに…

 

1968年1月、相変わらず山県はお金を要求してきており、銀行に電話をかけてきて20万円を要求してきます。
しかしこの頃にはすでにKさんのお金も底をついており、要求分を捻出するところなどどこにもなかった彰子。
困り果てた彰子はついに銀行の金に手をつけようかと迷っていたところに、自分の預かっていた定期預金元票から20万円1年定期を見つけ、預金証書を偽造してしまいます。
あとは支店長とその代理の職印が必要だったが、油紙を使って転写、20万円をだましとる。

その後も彰子はは犯行を重ね、その手口も次第に大胆になっていく。
定期の中途解約では追いつかなくなり、架空名義を作り上げて100万単位で引き出し始めることに。
1972年には定期・通知預金事務決済者を任されるが、このことがさらに横領に拍車をかけることとなりました。
 
1973年2月1日、山科支店から東山支店に移ることになった彰子は「バレる」と思い始めます。
園と事を山県に言うと、電話で「睡眠薬を用意しとけ」と言われます。
奥村は心中を覚悟したといいますが、後日京都にやってきた山県は奥村に会うなり、またも金の催促をしてきます。
「一緒に逃げて。一緒に死んで。私死ぬ」
彰子は何度もそう言いましたが、結局山県は300万円を持って下関へ帰ってしまいます。

2月11日と13日、彰子は2度も下関へ出向き、山県に「かくまって欲しい」と頼むも断られてしまいます。
その後彰子は一旦自宅に戻り、姿を消した。

その頃、山科支店では大騒動になった。億を超す巨額金が彰子によって横領されていることが発覚していたのです。
2月19日、逮捕状が出され、彰子は全国に指名手配されました。

そのころ下関の山県は彰子の男友達としてマスコミから注目を浴びていました。
定職もないのに、外車、モーターボートを数台づつ持ち、さらには豪邸に住み、ギャンブル遊びでは1000万円すった翌日、再び1000万をつぎこんだりしていました。

10月15日、山県はぞう物収受容疑で逮捕され、あっさりと彰子の所在も供述します。 
10月21日、滋賀県警は偽名を使って大阪のアパートに隠れていた彰子を逮捕
指名手配写真では地味だった彰子は、この時派手な洋服と厚化粧で別人のようだったそうです。
被害額は4億8000万円と見られていましたが、2人の供述から7億を越していることがわかり、その後の裁判所の認定では8億9400万円にものぼっています。

さらに山県は1970年5月に別の女性と結婚し、長女をもうけていることもわかります。
彰子が山県のために金を引き出している間のことでした。

とんでもない男ですね…。


またこの事件は宮沢りえさん主演「紙の月」のモデルとなった事件の1つともいわれていますよね。
実際この映画見ましたが、大体の背景は同じな気がします(‘ω’)
こちらもとても面白い映画でしたので、おすすめです☆

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